| 山本勘助は、明治以降架空の人物ではないかと言われてきました。それが、昭和44年のNHK大河ドラマ「天と地と」をきっかけに、北海道で発見された市川家文書(信玄書状)に「山本菅助」という名前が出ていたので、山本勘助は実在の人物だといわれるようになってきました。でも、市川家文書の菅助と『甲陽軍鑑』の勘助とが果たして同一の人物であるのか、『甲陽軍鑑』の勘助は、江戸初期の甲州流軍学者小幡景憲(おばたかげのり)によって脚色されていのるではないかなど、未だに疑問の多い人物です。しかも、誕生地も、生年も、その後もどうなっているのか謎の多い戦国ロマンの人物です。その勘助のふるさとである富士宮、勘助の育った山本とはどのような所であるのか、そうしたことを紐解きながら勘助の存在について考えていきたいと思います。 |