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富士宮市立郷土資料館通信bP3(2011.12)

旧芝川町域の道祖神紹介


はじめに
 富士宮市教育委員会では、平成13年度に旧富士宮市域の道祖神調査を行い、調査報告書を刊行しました。現在は新富士宮市の誕生に伴い、旧芝川町域の道祖神調査を進めています。これまでに旧芝川町域で55基(文字35基・双体19基・自然石1基)を確認し、富士宮市域の道祖神総数は、395基となりました。
 今回は、旧芝川町域の道祖神を紹介します。

1.道祖神について
 道祖神とはドウソジン・ドウロクジンなどと呼ばれ、さまざまな路傍の神や仏の中でも、子供にも親しまれる身近な神で、集落の境や辻合などに祀られています。道祖神には、道の神、交通安全のための行路の神、外部から来る疫病や災いを防いでくれる塞の神、夫婦円満や子孫繁栄の幸神など、さまざまな信仰があります。
 富士宮市内で1月14日から15日にかけて行われるどんど焼きは、道祖神の祭りでもあり、その際に、あらゆる災いから集落を守ってきた道祖神を火の中に投げ入れて清める地域があります(山宮新屋敷・下蒲沢)(注1)。また、夏に仏式や神式で夏祭りを行う地域もあり(青木・淀師・朝日町・宝町・宮町)、道祖神信仰の一端を見ることができます(注2)。
 道祖神の信仰もさまざまですが、形態にも種類があります。富士宮市では、二体の立像を浮き彫りにした双体道祖神が最も多く、次いで「道祖神」と文字が彫られた文字道祖神が多く見られます。他にも自然石をそのまま祀った自然石道祖神や「南無妙法蓮華経」の文字の下に「道祖神」と刻まれた題目道祖神、一体の立像を浮き彫りにした単体道祖神等がみられます。

2.道祖神の分布
 道祖神の信仰は全国的にみられますが、長野県・群馬県・山梨県・神奈川県・静岡県東部に道祖神石像が多く分布しています。富士宮市域では395基が確認されており、隣接する富士市が298基、裾野市が147基であることからも、富士宮市は道祖神信仰が盛んな地域であることが伺えます。ところが、富士川西岸の内房地区では道祖神が確認されていません。また富士市松野地区でも道祖神が1基しか確認されておらず(注3)、富士川を境に道祖神の数が極端に少なくなります。この道祖神の分布と同様に、どんど焼きを実施する地域も富士川以東では多く、以西では少なくなります。富士川が、静岡県下の民俗文化圏の境の一つとなっていることも指摘されています(注4)。

3.旧芝川町域の道祖神紹介
(1)おでこ道祖神
 羽鮒古田に、「おでこ道祖神」と呼ばれている自然石の文字道祖神があります(写真1)。写真のように石の上部がぽっこりと突き出ており、この突き出た部分を人間の額に見立てて、地域の人々には「おでこ道祖神」と呼ばれ、親しまれています。これは、道祖神と達磨大師(だるまだいし)を合わせて祀ったものだと言われています(注5)。
 このように上部が突起している形の道祖神は、羽鮒・長貫地区で5基、西山地区で1基見ることができます(表1)。これらの道祖神は、天保12年(1841)造立(ぞうりゅう)の羽鮒古田と、年号不明の羽鮒坂本のものを除き、昭和に入ってから造られています。さらにこの形状は甲子碑(きのえねひ・こうしひ)にも見られ、この地域の道祖神・甲子碑の特徴となっています。
 また、下条杉原にも、文政7年(1824)造立の上部が突起している道祖神があります(写真2)。この道祖神には特別な伝承も伝わっておらず、おでこ道祖神とも呼ばれていません。

表1:上部の突起が見られる道祖神一覧表
No. 所在地 造立年銘 西暦 造立者 碑型 種類 大きさcm
(縦×横×奥)
1 羽鮒古田 天保十二辛丑天 1841 不明 自然石 文字 71×67×45
2 長貫川合 昭和三年四月吉日 1928 川合上組 自然石(加工?) 文字 76×70×28
3 羽鮒本町 昭和六年二月 1931 初音組 自然石(加工?) 文字 58×59×42
4 羽鮒朏島
(みかづきじま)
昭和九年八月吉日 1834 朏島組 自然石 文字 71×82×52
5 羽鮒坂本 不明 不明 不明 自然石 文字 75×65×41
6 西山久保 昭和五十五年一月吉日 1980 久保組佐野章 自然石 文字 100×65×60

写真1 写真2
写真1:羽鮒古田のおでこ道祖神
天保12年(1841)・自然石・文字
写真2:下条杉原の文字道祖神
文政7年(1824)・自然石・文字


(2)祝言道祖神

 精進川・下条地区から猫沢地区にかけてと上稲子地区に、合計7基の祝言道祖神が造立されています(表2)。祝言道祖神とは、双体道祖神のひとつで、一体の像が徳利(とっくり)・銚子(ちょうし)・提子(ひさげ)・瓢箪(ひょうたん)などを、もう一体の像が盃(はい)・?(さら)などの酒器を持ち、婚姻儀礼を表しています。この地区の祝言道祖神は提子と盃を持ち、写真のようにふっくらとした像が特徴的です(写真3〜6)。また、上稲子の道祖神の上部には御幣(ごへい)が広がり、傘のようになっています(写真5)。
 これらの祝言道祖神は、昭和57年(1982)造立の精進川大倉のものを除いて、碑型・像容などが類似しています。下条西之原(写真6)と、上稲子宮地(みやじ)(写真5)の祝言道祖神は、造立年も全く同じです。造立された年代が近いものもあり、これらの祝言道祖神は、同一の石工、または同系統の石工により制作されたものと推測されます。

表2:精進川・下条・猫沢・上稲子地区 祝言道祖神一覧表
※舟型(ふながた)…舟型の形状をした碑石に像を浮彫りにしたもの。
No. 所在地 造立年銘 西暦 造立者 碑型 像容 大きさcm
(縦×横×奥)
1 猫沢北村 天明八戌申年正月大吉日 1788 □□村中 舟形※ 祝言(盃・提子) 62×53×34
2 猫沢南村 文化七午年正月吉日 1810 猫沢南村 舟形 祝言(盃・提子) 73×60×45
3 下条西ノ原 文政二卯年六月吉日 1819 不明 舟形 祝言(盃・提子) 60×48×29
4 上稲子宮地
(ユートリオ前)
文政二卯年六月吉日 1819 宮地・北谷戸・
向田・生ヶ屋敷
舟形 祝言(盃・提子) 61×57×30
5 精進川小山 天保十五辰年正月吉日 1844 不明 舟形 祝言(盃・提子) 78×59×46
6 精進川北原 嘉永五年正月吉日 1852 不明 舟形 祝言(盃・提子) 67×58×38
7 精進川大倉 昭和五十七年七月吉日 1982 不明 舟形(刳抜) 祝言(盃・提子) 77×54×48

写真3 写真4
写真3:猫沢北村の双体道祖神
天明8年6月吉日(1788)・舟型

写真4:猫沢南村の双体道祖神
文化7年(1810)正月吉日・舟型
写真5 写真6
写真5;上稲子宮地の双体道祖神
文政2年(1819)6月吉日・舟型

写真6:下条西之原の双体道祖神
文政2年(1819)6月吉日・舟型
(3)牛馬頭を冠(かん)した双体像の石造物
 上稲子池ノ谷集落の南約500mの所に、僧形(そうぎょう)の双体像に馬と牛の頭を冠した石造物があります。(写真7)向って左側の面長の像の頭上には、像の顔と同じく面長の馬頭(ばとう)が載っており、向って右側の丸顔の像の頭上には、広い顔の角のある牛頭(ぎゅうとう)が載っています。
 馬頭観音とは、六観音のうちのひとつで、動物や畜生道(ちくしょうどう)に苦しむ者の救済にあたるとされています。馬の頭を冠していることから馬の守護仏として信仰されるようになり、馬の持ち主や集落により、無病息災の祈願や、死亡した馬の供養として石造物が建てられるようになりました。さらに馬だけでなく、牛頭を載せた牛頭観音の石造物も造られるようになりました。
 この石造物は、昭和41年(1966)の富士文庫の調査では、牛頭観音と道祖神の信仰が習合したもので、「牛頭双体道祖神」と報告されています(注6)。また、昭和43年(1968)の富士宮北高校の調査では、この石造物が冠しているものが牛と馬であることから、「牛馬頭双体道祖神(ぎゅうばとうそうたいどうそじん)」と呼び、馬頭観音の項に報告されています(注7)。一方、写真家であり、日本石仏協会会員でもある小山益次氏は、昔この辺りで崖崩れがあり、役馬(えきば)が災難にあったため供養したもので、馬頭観音として信仰している、という古老の話を紹介しています(注8)。
 現在、地域ではこの石造物を「牛馬頭観音(ぎゅうばとうかんのん)」と呼んでおり、道祖神としては信仰されていません。造立に関する言い伝えなどは伝わっておらず、詳しいことはわかりません。また、どんど焼きは、集落前の稲子川の河原で行っていたと言い(現在は、上稲子宮地の祝言道祖神の前で他の集落と一緒に行っている)、どんど焼きとの関連も見ることができません。この石造物が牛馬頭観音なのか、あるいは道祖神を合わせ祀ったものなのか、今後検討が必要と思われます。
 なお、双体馬頭観音の例として、粟倉石原に天保6年(1835)造立のものが1基確認されています(写真8)。

写真7 写真8
写真7:上稲子池ノ谷の石造物
天明6年(1786)・舟型・僧形合

写真8:粟倉石原の双体馬頭観音
天保6年(1835)・舟型
おわりに
 今回は、旧芝川町域の主な道祖神を紹介しました。富士宮市教育委員会では、今後も旧芝川町域の道祖神調査を継続していく予定です。


    <参考文献>
  • 富士宮市教育委員会編 『富士宮市の道祖神』2002
  • 庚申懇話会編 『日本石仏事典 第二版』1985
    <注>
  • (注1)現在は道祖神が傷んできたため、自然石を道祖神の横に祀り、それを道祖神の代わりに火の中へ投げ入れています。また、かつては道祖神を火の中に投げ入れたという伝承のある地域も多く見られます。
  • (注2)江戸時代末期の『袖日記』には、疱瘡(ほうそう)が流行した嘉永2年(1849)に個人で道祖神を祀り、コレラが流行した安政5年(1858)には町内で臨時の道祖神祭りを行った、という記述があります。このことから夏の道祖神祭りは、疫神除けの祭りとして行われてきたのではないかと考えられます。
  • (注3)富士川町教育委員会編『富士川町の石造物』1988
  • (注4)静岡県編『静岡県史 別編T民俗文化史』1995
  • (注5)芝川町教育委員会編『芝川町の文化財』1985
  • (注6)富士文庫編「富士文庫報174」1966
  • (注7)富士宮北高等学校郷土研究部編『富士山麓石造物総集』1968
  • (注8)小山益次『風狂問わず語り―静岡県の道祖神』静岡新聞社 1982
(嘱託学芸員 志村和恵)

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