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『−郷土の先覚者−角田桜岳』展


 はじめに
 角田桜岳(佐野定経・通称与市)は、江戸時代末期大宮町連雀(現富士宮市東町)に住まいし、大宮町の町役人を勤め、助郷役免除の嘆願や万野原の開発など地域の振興に尽くした功労者として知られています。
 また、江戸に度々遊学し地球儀の製作に関わるなど、文化的にも先覚的(他に先んじてことの道理や重要性を知り、事を起すこと。)な人物でした。
 この桜岳に関係する資料が、平成元年と同13年に関係者から富士宮市教育委員会に寄贈されました。教育委員会では、その中の日記類の解読を現在進めております。これまでは「角田桜岳墓銘」の記載をもとに語られてきた桜岳像ですが、日記を解読することによって桜岳の実像を少しずつ明らかにすることができるものと思います。
 この展示では、日記の解読成果を交えて、郷土の先覚者角田桜岳を紹介したいと思います。

1 「角田桜岳墓銘」とその記載
2 『角田桜岳日記』
3 角田桜岳の事績 角田桜岳肖像画
(1) 角田桜岳と地球儀
(2) 助郷役免除の嘆願
(3) 間道の開さく
(4) 万野原の開墾
(5) 『駿河国新風土記』の補筆
4 『角田桜岳日記』を読む
(1) 町役人桜岳と日々の生活
(2) 桜岳の使用した江戸切絵図(江戸での桜岳)
(3) 桜岳と麗山
(4) 当時の食べ物
(5) 桜岳、天子ヶ岳に登る 角田桜岳肖像画
(横須賀市 角田利夫氏蔵)
(6) 蹲虎(そんこ)の碑奉納される
(7) 桜岳と富士山

 ―角田桜岳略年譜 (『富士宮市史』・『郷土の発展につくした人々』・『萬野区誌』参照)
文化12年(1815)  連雀(現東町)に生まれる。
名は定経、通称与市、桜岳はその号。
文政6年(1823)   8歳 江戸に出て、儒学者朝川善庵に学ぶ。
天保元年(1834)  15歳 江戸より帰郷し、直ちに東町方町役人(百姓代)となる。
天保6年(1835) 20歳 洪水対策として万野原に大新堀(一番堀)と小新堀(二番堀)の設置を主唱する。
天保12年(1841) 26歳  東町方組頭となる。
天保13年(1842) 27歳 助郷免除の嘆願書を提出する。
嘉永元年(1848) 33歳 万野原の開墾及び芝川からの引水計画を立てる。
安政3年(1856) 41歳  「地球儀用法略」に駿河佐野与市の名前が見られる。
淀師の渋沢用水の水門が壊された時、その争いを解決する。
文久2年(1862) 47歳 万野原の「萬農庵」に居を構え、農事指導と近隣の子弟に読み書きを教える。
元治元年(1864) 49歳 助郷免除の嘆願が実る。
慶応元年(1865) 50歳 芝川よりの用水取り入れ口と水路の変更について、近くの村々六ヶ村との間で取り決め規定書を作る。
明治2年(1869) 54歳 長谷に士族専用井戸を掘る。
万野原新田の名主となる。
明治4年(1871) 56歳 角田の姓を名のる。
明治6年(1873) 58歳 六月、癰(よう)が悪化し死去。

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